ITアーキテクトのひとりごと
第72回「サービス終了」
写真共有のクラウドストレージサービス終了の連絡。
そうか。
淡々と受け止める。
データには重さも形もない。USBポータブルディスクにデータを保存すると、何か有形のものがあるかのような感じを覚えるが、実は姿、形がない。
ディスク装置にデータを保存するとディスクがずっしりと重くなったりすれば、モノ(化したデータ)を持っているかのような錯覚を実感できるが、そうはいかない。USBディスクを握りしめて、ここに写真が入っているんだ、と思うのは人間の錯覚に過ぎない。ストレージサービスがモノに具現化されている、写真だったら印画紙に印刷された写真を握りしめることが大事だ。
ディスクが壊れてメーカーが弁償に応じたとしても、USBポータブルディスクの数千円の値段が補償の最高限度額なので、写真を撮るのに要した努力、時間の弁償代には遠く及ばない。
さて、私が使っていた某写真共有サービスは、写真編集、管理ソフトウエアの付加価値として提供されていたはずなのだが、クレームをつけていいものなのか、わからない。ソフトウエアの使用約款の中に、何気なく断り書きが書いてあるような気がする。そうでなければ、あっさりと「サービスを終了します。よろしく」とは言わないだろう(多分)。
勝手にこちらがそう思っているだけかも知れないが、今どき、写真共有なんていうありふれたサービスはどこにでもある。誰もクレームを付ける気もないかも知れないが、私がそのサービスを気に入っていた理由はそれなりにあったのだ。
何でもサービス化するという時代の流行には逆らえない。いろいろな機能がサービス化され、ビジネスでもプライベートでも、それらのサービスを利用している。
でも、いともあっさりとサービス終了の一言でお終いになるというのは問題だ。
銀行、クレジットは典型的なサービス化の例だ。そもそも貨幣はお互いの信頼関係をベースにした仮想的な機能だ。紙幣、硬貨を使わないでコンピュータシステム上にだけ、お金がデータとして存在していることを前提とした銀行、クレジットの仕組みは、信頼関係があってこそのものだ。
そう、この信頼関係こそが銀行、クレジットの最大の拠り所なのだ。この信頼関係を崩さないために膨大な努力が払われている。
一方、あっさりとサービス終了を宣言してしまうようなサービスって何だ。
そのサービスがタダで提供されているから、なんでもありなのか。そんなことはない。お金を払っていたサービスのはずなのに、あっさりとサービス終了を宣言されたことは何回もある。
社会の、生活のインフラになっていないから。いろいろと実験しているだけだから。ちょっとやってみたけど儲からなかったから。
そんなサービスなんて必要ない。もっと真剣にやってくれよ。
真剣にサービスをビジネス化している、ビジネス化しようとしている企業は意外に多くは無いことを肝に銘じる。真剣にやっている会社を見極めて、大きくなってくれよと応援しよう。
株式会社エクサ 恋塚 正隆