ITアーキテクトのひとりごと
第60回「風化」
デジタル化された記録は適切に管理されていれば半永久的に失われない。と言ってみたものの、記録がデジタル化されるようになったのは、そんな昔ではない。半永久的に、という言葉が立証されているわけではない。
もし、半永久的に保存されたとしても、次から次に半永久的に保存されるデータが山となり、実は事実上データが失われる。
体に染みついたと思う記憶ですら、時間とともに急速に失われる。映像、音声にそのまま記録されたものも、確かにデジタル化されたデータそのものが失われなかったとしても、その映像、音声に記録された内容を受け止める主体の意識が急速に移ろうので、事実上、失われたのも同然となる。
検証され続けないデータは海辺の砂と同然だが、無限の記憶容量を手に入れつつある私たちにとっては、そんなことは気にならない。
Googleで捜し物を探すことが日常風景になった。何でもかんでもすぐにGoogleを呼び出してお願いする。神社やお寺でお願いするなんて滅多に無いことなのに、Googleにお願いするのは一日に何度もだ。こんなことは、そんな昔からのことでは無いのに、すっかりと体に染みついてしまい、検索ツールが無かったら、と想像することもできない。
ネットワークの時代に無くてはならないコモディティツールとして検索ツールが占める位置は大きい。
Googleのような検索ツールがあると、世の中にある無限とも思えるデータにアクセスできるようになった気がする。自分が探すものがどこかにあるんじゃないかとキーワードを組み替えてみる。キーワードを組み合わせすぎて対象数が極端に減る。失敗だ。
世の中には無いものが無いという錯覚に陥っている。意外と無いモノも多いのかも知れないが、自分の頼りない記憶よりもネットワークの記憶に頼るしかない。
捜し物をするときの文脈を間違うと欲しいものに到達できないことが多いので、自分が正しい文脈で物事を考えているのかという知見も問われている。
風化してしまう記憶と、風化しないデジタルデータ。データの文脈が失われると記憶が失われて、データも失われる。こう考えると決して失われることがないと思われるようなデジタルデータでも記憶の風化で失われてしまう。
何が記憶に値するのかは、文脈や共感に依存するので、本当は適当に記憶が薄れていくのも便利なものだ。記憶し続けるのも、上手に記憶を整理していくのも難しい。どうやって記憶をリセットしたらよいのか。デジタル時代だからこそ難しい問題があるような気がする。
Googleのアカウント管理にある「アカウント無効化管理ツール」を見て、改めて記憶について考えてみた。
株式会社エクサ 恋塚 正隆