ITアーキテクトのひとりごと
第51回 「文脈棚」
本を単純な分類に従って整然と並べるのではなく、ジャンルに関係なく関連性、テーマ性を追いかけて集めた本を棚に並べる。こんな本屋さんの本棚を文脈棚と呼ぶらしい。雑誌、テレビで文脈棚を企画している本屋さんの紹介をよく見かけるようになったのは、電子ブックに対するアンチテーゼっていうやつなんだろうか。
もしそうだとしたら、とんでもない勘違いだ。電子ブックのようにデータ化されていて検索性が高い本がたくさん出てきたら、本屋さんが作る文脈棚ではカバーできないような広い範囲をカバーできて、もっと複雑な関連性、テーマ性のあるコンテンツを持つ本を容易に探し出すことができるようになるからだ。
と、ここまで書いて、これもちょっと間違いだということに気づく。価値のある文脈を見いだすのは人間の知性だからだ。
特定分野の本を集めた専門図書館、高名な人が持っていた膨大な書籍の公開コレクション、著名な専門家の本棚、評判の本の最後に書かれた資料名、文脈を追い続けて出版された記録本、美術館、博物館。
これらの文脈は何回消費しても減らないが、理解するには専門家の解説が必要だ。
本屋さんの文脈棚も、それを理解するにはコンシェルジュが必要だが、そんな本屋さんはたくさんは無いから、その文脈を消費できる人は限定される。その本屋に行かないとわからない文脈に希少価値を見いだしたとしても、売れてしまった本は本棚から消え、伝えたかった意図はほんの少しばかり損なわれる。ここが本屋さんの文脈棚の問題の一つかも知れない。
それではと、素晴らしい文脈棚を作り、それをWEBで公開したとしても、本はアマゾンで消費されるので、文脈棚はお金を産まない。図書館と同じだ。
本を買い、読んで、理解して、メッセージを発信するのにも、お金は必要だが、ビジネスモデルとしては、どこでお金を稼ぐのか、どこに価値を見いだすのかが難しい。仕方がない、ボランティア、社会貢献と割り切ろうか。
膨大なコンテンツを整理して人に語る達人たちの活動は、大量のコンテンツを飲み込む巨大なグリッドコンピュータ群よりも貴重だ。意志を持ってコンテンツを整理し人に語るという知性は、ビッグデータ分析でも重要な前提条件のひとつだ。
WEBサイトを誰でも簡単に作って公開できるようになったお陰で、誰もが自分の文脈を語れるようになった。文脈同士のネットワークが構築され、ボランティアのコンシェルジュが活動し、それらの有用性をみんなで評価する。こんなコミュニティが構築されるようになった。
電子化された本のお陰で絶版もなくなり、誰でもがアクセス可能になるのは時間の問題だ。文脈にどんな意味を持たせるのか、どんな本を見つけ出せるのか。単なるリストマニアに終わらない文脈を創るプロフェッショナルな人達の活躍で、私はパソコンとアマゾンから離れられなくなりそうだ。
株式会社エクサ 恋塚 正隆