ITアーキテクトのひとりごと
第49回 「コモディティ化の次に来るモノ」
ハードウエアのコモディティ化が止まらない。そして、マルチコア化が進むCPUのおかげで、何でもソフトウエア化してしまう動きも止まらない。
高速処理が必要だった動画処理や音声処理もハードウエア処理からソフトウエア処理に変わってから久しい。そういえばMacintoshやLisa、そして、そのお手本となったXerox Altoはほとんどがソフトウエア処理だ。そしてまた、ネットワーク装置やファイアウォールのような、専用化されたハードウエアが必須だと思われた領域もソフトウエア化しつつある。
仮想ファイアウォール・アプライアンス、仮想負荷分散装置アプライアンス、仮想電話交換機、仮想L2/L3スイッチは当たり前。ストレージもローカルにあるのかクラウドにあるのか分からないように仮想化されつつある。
その全てはソフトウエアのパワーで実現されている。
ハードウエアのコモディティ化が進化し、コモディティ化した安価で高性能なマシンにソフトウエアを載せて何でもやってしまおうという流れが突き進むと、スマートフォンやタブレットPC、ノートPC、デスクトップPCの違いは画面の大きさ、入力デバイス、メモリやディスクの大きさ、モビリティ性くらいだ。OSが違う、と言われたって、電車の中で見かけるスマホやタブレットの違いは、どう見ても大きさと色くらいしか違いがわからない。要するに目的ありきで考えるとデバイスなんて何でもいい。
ちょっとした見た目の違いや操作性の違いは、ソフトウエアのアップデートで修正するのは朝飯前だから、デバイスはどんどん似てくる。デバイスが似てくるのは利用者にとっては悪い話じゃ無い。どのデバイスでも同じような操作が通用するならTPOに応じて利用するデバイスを変えてしまってもいい。
ひょっとすると、自分の大事なアプリケーションやコンテンツがまるで生き物のように、ノートPCに乗り移ったり、外出の時はスマートフォンに乗り移ったりと自由自在に動き回る世の中が来るかも知れない。乗り移る先が無いときは、クラウドの中にパーキングする。
ちなみに、この原稿は Google Document を使い、Firefoxブラウザ上で書いている。アプリもコンテンツもクラウドにあるのだが、残念ながら、完成すると PC 上の OneNote に移される。
私としては、アプリケーションにはこだわりがあるが、デバイスにはこだわりがないので、アプリケーションが、乗り移った環境に自動的に最適化されて使いやすいインターフェイスを提供してくれるなら、どんどん乗り移って欲しい。乗り移る先がある限り、アプリケーションは生き続けることになる。そして、デバイスの束縛から解放される。
最近のスマホ、タブレット、ノートPCの世界では、一発儲けようとしているのか、負けないようにしているのか各社の動きが複雑だが、各社ともゲームチェンジを目論む、大金をはたいた技の掛け合いだ。ユーザ不在で勝手にゲームをやっているように見えるが、一発逆転の大技もなさそうなので混沌状態だ。
まあ、誰が勝っても良いが、無駄なものを買って損をしないように注意しないといけない。何と言っても一番大事なのはアプリケーションとコンテンツだ。そのほかのことはどうでも良い。デバイスなんて所詮アプリケーションとコンテンツを PRESENTATION するための道具なのだ。
株式会社エクサ 恋塚 正隆